2009年6月20日土曜日

園庭開放第2弾!

昨日、園庭開放の2回目が行われました。梅雨に入っておりますし、またまた雨なのではないか?という心配をよそに、太陽は容赦なく照りつけ暑い暑い中での開放日となりました。感謝です。


この園庭開放、在園のお母様方が企画、実行?してくださっているので、私としては、お部屋を整えてその辺をブラブラしているだけでよく、本当に気楽に参加させていただいています。何事によらず、「参加する側にいる」ということのありがたさを感じる毎日です。とはいえ、先日の開放日はひどい頭痛で、参加せずに失礼させていただき、申し訳ありませんでした。昨日は、そのようなこともなく、先週同様M子先生のヘルプもあってか、元気にブラブラ参加をさせていただいた次第です。


でも、新しくいらっしゃった方とはあまりお話できなかったのですが、、、またまた可愛い卒園児が一人来てくれたので、無理やり膝の上に座らせて、あれやこれやと話しかけてしまいました(ほとんどこちらが相手してもらっている状態です・・・)。それはともかく、初めてお名前をお見かけする方もおられて、とてもうれしく感じています。一度、御縁があった方は、どのような形であれ(お子様が入園するしないにかかわらず)、その後、あおぞらのことを心に留めてくださって支えてくださることが多く、園庭開放も募集活動の一環として始めてくださったことではありますが、あおぞらが、開かれた園であることの象徴的なイベントとなれば幸いだと感じています。お母さま方、お忙しい中、本当にありがとうございました。



さて、今週もあおぞらは、とても平和な1週間を送りました。子ども達、4月以来の環境の変化による揺れをそれぞれ克服しつつあるようで、がんばりの4月、エネルギー切れの5月を経て、本来の自分を出せるようになってきているように見えます。そんな中で、お互いがお互いを受け入れ合って(時にバトルしつつもあきらめ合って?ははは)、今年度のあおぞらのカラーが出てきたように思います。



私も4月、5月は新しく入った子ども達の気質をみることや、進級した子ども達も新しい環境(関係性)の中で、どのような新しい一面を見せてくれるのか?などなど手探りのことも多かったのですが、最近はそれぞれ大体のところは見えてきたようにも思いますし(もちろん園という特定の状況下におけるかれらの一面ということですが)、今年度、どのようなことを課題としつつ良い方向に歩んでゆけるか、というような一段階進んだ模索になってきたように思います。そういうわけで子ども達も楽しく過ごしていますし、この調子で夏まで、よい時間を過ごしてゆけたらと思います。ご家庭でもリズム正しく(とりわけ睡眠時間が直接的な影響を及ぼします)生活させてあげてくださいますようよろしくお願いいたします。

さてさて、先週一週間は私は村上春樹の新刊を読んで幸せに過ごしていたのですが、すぐに読み終えてしまい、またまた読む本がなくなってしまいました。しょんぼり。でも、基本的に村上春樹の本は、私にとっては物語の筋を追うというよりは、1頁1頁がとても大切で、彼の小説の世界の空気の中にいることで幸せな気持ちになれるので、読み終えてもまた何度も何度も読み返しています。でもこれまでのものはもう、本当に何度も何度も読み返して、英語で読み、タイ語で読み、しているので、新刊が出たということは喜ばしいことではあります。もちろん。

今回の小説はとても売れているそうで、そこここで書評やコメントが出ているので困りました。私は基本的に書評というものが苦手で、新聞でも雑誌でも村上春樹に限らずそういうものは全く読まない人です。何で読む本まで人に勧めてもらわないといけないんだよ?って思う。でも、世の中には書評とかって好きな人がいるみたいですよねーーー。だって読む人がいなければあんなにデカデカと新聞一面も取ったりしないよねえ?かくいう我が家にもそういう人、一人いるんですけどねーーー。そういう人って素直なんですかね?私が性格曲がっているのかな?ま、まっすぐでないことは確かですが・・・。

関係ないけど私、日本文学専攻なんですよねーーー。で、大学時代もいろいろ「研究」(の真似ごとみたいなもの)するんです。太宰の当時の日記によると(太宰が日記をつけてたのかどうか知りませんが、ま、たとえば!)どーちゃらこーちゃらなので、この『人間失格』のテーマは何ちゃらである!とかなんとか、「実証」してゆくんですよねーーー。そういうのってさあ・・・どうなんでしょう?って思ってしまう。別にどーでもいいじゃん!(突然東京の人!)って感じで、どうしても興味が持てませんでした。私が『人間失格』読んで、感動して、これがテーマだ!!と思ったら、それが私にとっての『人間失格』なのであって、太宰はそれで文句は言わないと思うしねえ・・・(私が作家だったら、作品の幅がますます広がってうれしいと思う)。作品って作家の手を離れたらそれは独立したものなんだから、読み手と作品の関係こそが大切なのだと思ったりします。それに作品研究にしろ、作家研究にしろ、作家が死んでからしかできないんですよねーーー。プライバシーのこともあるのかもしれないけれど、・・・結局「死人に口なし」かい?って感じたりもします。いや、これ、勉強できないもののひがみかもしれないんで、読み流してくれていいんですけどね。それで結局、日本文学研究は苦手なままで、卒論は日本語学に逃げてしまった私です。

そうそう、皆さんは卒論とかって何で書いたのですか?興味あります。また教えてくださいね。そんな話もしてみたいものです。いろんな人がいそうで興味津々!蛇足ですが、私、太宰はそんなに好きではありません。最近、太宰の名前をよく目にするので、書いてみただけです。念のため。

そうそう、それで今回の村上春樹の小説は(「も」かな?)、ドストエフスキーのことを思い出させる作品でした(何故か私の好きな人はドストエフスキーが好きな人が多い)。まだ一度しか読んでいないのでよくわかりませんけれど。それで心に残った一節。「説明しなくてはわからないということは、説明してもわからないということだ」でした。もともとこういう傾向が彼の作品には多かれ少なかれあるのですが、全くわたくしもそう感じさせられることが、年を追うごとに多くなっていっております。いや、深い意味はなく、そのままの意味ですが・・・。今回は結構、親切な小説な気がしましたが、「宗教」についても多く書かれており、またゆっくり読んでみたいと思います。いやいや・・・また、あおぞらとは全く全く関係のないことを書いてしまいました。お時間取らせました。

今週末、予定していたことがキャンセルになり、長女の期末試験がせまっていることもあり、何もすることがなくブラブラしています。ではそろそろ夕食準備にとりかかりたいと思いますので、この辺りで失礼いたします。

またコメントくださいね。励みになります♡ ではではまた。

2 件のコメント:

yell さんのコメント...

さすが知的なともこ先生。
このブログ拝見してた時特に太宰の生誕
関係でよく名前出てましたよね。

日本文学専攻の先生らしく非常に知的な
ブログ内容でなるほどなるほどとただただ
感心しつつ拝見してました。

意見は異なるのですが文学的に
どうこう分からないのですが
個人的には太宰治のきわどい生き方
なかなか「好き」っていうと「げーっ」て
思われるかもしれませんが「好き」ですね。
(わが道を貫く的・・・・)

卒論っていうか卒論的なものは
「信教の自由」です。
ただただ感想文でしかなかったのですが。

とも子先生 さんのコメント...

いや~yell先生に「ともこ先生」なんて書かれると照れますぅ~~。

ところで、ふーーーん、太宰好きだったのですね。私も「好きではない」というほど太宰治を読んだわけではないのです。偉そうなこと書いてすみません。大谷昭宏さんも太宰ファンでしたよ!!

それから、卒論のテーマが「信教の自由」なんですか?楽しそうですね。興味あります。また読ませてくださいね♡