2011年5月2日月曜日

ゴールデンウィーク

ゴールデンウィークに入りましたね。皆様はどのようにお過ごしでしょうか?
毎年、四月は結構大変で、ゴールデンウィークって砂漠のオアシス的にうれしいのですけれど、今年はもともとウツ気味だっだせいか、今年の新入園児さんのおかげか、何んとなーくゴールデンウィークに入ったという感じです。それでもやっぱりお休みって何となくうれしいもので、のんびり過ごさせていただいています。とはいえ、こういう状況では、あんまり遊びにいく気にはなれません。世の中では「経済が回らない」とかで、やたらとお金を遣え遣え、と大合唱ですが、そう言われましても、まだ避難しておられる方々や、放射能におびえている東日本の方々のことを思うと、遊びに行っても全然楽しくありませんし、何かそう言われるとますますお金を遣いたくなくなるあまのじゃくな私です。

さて、ご要望にお応えいたしまして僭越ながら29日に「あおぞら原発学習会」を開かせていただきましたー。あおぞらのお母様方、お詳しい方が多いので私なんかが話をするのもどうかと思われましたが、一応、私の思いつくままに原子力発電にまつわる問題点を提起しつつ、みんなで雑談も加えながら2時間ほど、分かち合いの時間を持つことができました。感謝です。別に、あおぞらで社会運動をしたいと思っているわけではないのですが、対子どもではなく、大人たちは現代の社会問題に敏感であるべきだし、無関心でいてはいけないと思っているので、原発はじめ、いろんな問題にも思考、発信をしてゆけたらと考えてゆけたらと思っています。

ではでは、このごろ思う事・・・。part2

福島県で年間20ミリシーベルトの上限が子どもたちにも適用されています。今の反原発運動は、まずこの問題の解決に力が注がれていますね。年間20ミリシーベルトというのは本当に失神しそうな値です。従来の1ミリシーベルトでさえ、高いと言われていたのに一気に20倍、しかも大人より4,5倍、放射線感度が高いと言われている子どもにです(ちなみに女児は男児の2倍らしい)。そこで毎日、子どもたちが空気を吸い、土埃にまみれているかと思うと本当に頭がクラクラしてきます。多くの反原発の団体が、文科省、安全委員会に交渉に行っていますが、その対応たるや・・・これも失神しそうな役人たちです。こんな人間がこんなずさんなあり方で、私たちの命の値を決めているなんて・・・。お先真っ暗って感じです。

原発作業員の上限撤廃が検討されているそうです。福島で上限まで使い果たしてしまうと、残りの原発で働く人間がいなくなり原発を稼働させ続けられないから・・・という理由です。もういいです。誰かの命を削ってまでたった3割の電気なんていりません。今すぐ全部止めてくれて結構。みんなで声をあげましょう!

それにしても・・・、福島原発の事故で各国、運転停止や反原発デモが行われている中、当事国の日本ではいまだに「世界一危険」といわれている浜岡原発さえ止められていないというこの現実・・・。どうなっているのでしょうか??? 各地でデモも行われていますが(マスコミはスルーですが)、よくて数千人単位・・・。私たち庶民がどれほどがなりたてても、電力会社も官僚も学者も屁とも思っちゃいないです。なめとる!なめとる!!!なめんじゃねえ!!!(あ、失礼byとも子せんせい♡おほほ♡) 

今日、28日の文科省との交渉をネットでみていたら、あおぞらの顧問(了解とってません。勝手に言ってるだけ)お母さんの姿が・・・。今日の参議院会館での文科省などとの交渉現場からはあおぞらOB母のメールが・・・。みんながんばってますねーーー。勇気もらえますね。

話は戻りますが、どうしてこんなにこの国では、社会運動というが盛り上がらないのでしょうか? 何といいますか、自分の意見を主張すること、自分の立ち位置を明らかにすること・・・をとても恐れる傾向かあるように感じられます。とりわけ政治的なこと、宗教的なこと。。。自分に色がつくのが怖いみたいてす。何でなんでしょうか??? まー、国家としては中国と似たり寄ったりのレベルということが今回明らかになったとはいえ、中国や北朝鮮のように、反政府でしょっぴかれたり処刑されるというところまでは行っていません。ロシアのように毒殺される危険性もないでしょう(ま、毒殺されるほどの価値、影響力を持てれば意味のある人生かもしれませんが)。なのになんで怖いかな?って私は思います。

例えば宗教に関しても「キリスト教」の学校に行くことは、何かセレブチックな雰囲気があります。が、しかし、子どもが受洗するといえば反対する親は多いのではないでしょうか? キリスト教的なものに関わるのは好きだけと、クリスチャンになるのは拒否・・・。いや、キリスト教に魅力がないのかもしれませんが、政治にしても、「無党派」などというと何だかカッコいいような受け入れられかたをするのは何でなのかなあって思います。

まー、前からこの疑問は私にとっては大きかったのですが、今回また何でなのかな?何でなのかな?って考えていて、行きつくところやはり「教育」なのかなあ・・・って・・・思います。つまり、日本の教育では個人が個性を出す・・・ということをしようとすると、不利になるようなシステムになっているのではないか???
ということです。出る杭は打たれる・・・ではないですが、個性を殺して目立たないことが快適に生きる道・・ということを子どもたちは12年かけて徹底的に体に叩き込まれるのではないか???ということです。もちろん学校だけの問題ではなくて、親だって、阻止に回ること多いですよね。子どものためとかって言って(例えば、子どもが左翼的な政治活動を始めたら、すぐに心から応援できますか?右翼的でもいいけど)。

わかっていたことではあるのですが、最近、私学の高校に進んだ長女のIちゃんが、自分の行った学校が何しろ「校則」と言われるものが一切ない・・・という学校なので、公立高校に行ったお友達が、全く意味のない校則にがんじがらめになっている姿を見て、「何か、意味のない規則・・・多すぎ」とボヤいておりまして・・またまたそのことに思い至っているわけでございます。いや、別にIちゃん学校がその他の面においても優れている・・・とかは思わないのですが、子ども時代に「自由」を与えるのは、とても大切なことなのではないかと感じています。そして「自由」とともに「責任」「義務」が表裏一体のものである・・・ということも学校時代に教えるということは言うまでもありません。最終的には大人が、親が責任をとってくれる・・・という状況の中で、自分の行動には自分で責任をとる・・・という経験的学びの訓練を積んでゆくことはとても大切なことなのではないかと思います。

何の話だっけ? そうそう、で、私もIちゃんの中学時代の友達が、軍隊みたいに「前にならえの手は肩以上」とか「休めの手は、後ろで腰のところ」とか、「何チャラするときは60度」とか「右向くときは1,2」とか・・・。学校には一切私物を置いてはいけないとか(これって盗難時の責任逃れ??? みんな毎回、体育館シューズまで持って帰ってるらしい)・・・聞いてるだけで頭痛くなってきて・・・思わず「それじゃぁ、原発反対するって子どもも育たんわな・・・」とため息ついてしまいます。

国家の財産=子どもを愚民に育て上げること・・・それが日本政府の究極の願いみたいです。でも、こんな政府じゃあ、愚民の前に命だって危ういです(20ミリシーベルトだぜ!)。子どもを国家にゆだねるのはやめよう!「自由」な子どもを育てよう!何より「自由」な姿で自分が立とう!!!

ご静聴ありがとうございました。。。ではまた。おやすみ♡

2 件のコメント:

papaiyamama さんのコメント...

事実を知ることって、本当に驚愕の連続で恐ろしいですね~
でも、今を生きる大人の責任として、
普通に、ただ素直に母としての視点で、
「怖いものは怖い」「おかしいことはおかしい」「子どもたちの命は守りたい」って言いたいです~
10年後、20年後に後悔するくらいだったら---

J君の母 さんのコメント...

おはようございます。久しぶりにメーメーに来ました…。夫が帰っていると基本的にパソを立ち上げる機会が減り気味で(^^;)
今は夫と子どもたちは登校散歩中。私はというと…なんだかまた鬱っぽくなってきて、ちょっと気晴らしにメーメーしてます。
このごろ何やっていてもわざとらしい気がしてしんどいです。もうこうなったら思いっきり落ち込むしかないのかもしれません。
でも私には誰かを助けに行く力も行動力もない。とても泣きたくなるようなしんどい日常生活です。
すみません…すごいブルーで。
といあえず家のことが滞ると気持ちと同じく家も荒んできますので(^^;)、やっぱ家事はいつもどおり、子どもとの営みもいつも通りするのが今は精いっぱいです。
今はそれしかできないです。

といいつつ、ちゃんと生活しておりますのでご心配なくです(^^)

ではまたあおぞらで!!