2011年3月14日月曜日

祈りましょう

地震から3日が経ちました。被災された方々のことを思うと、本当に心が痛みます。何かできることはないかと思いますが、とりあえず私たちにできることは、祈ること、そしてお金を出すことくらいのものです。ささやかながら応援したいと思います。

私もこの3日間、原発の状況が片時も頭から離れず、注視し続けています(まともなことを言わないテレビなんか見たくないんだけど、それしか情報がない)。夜になると燃料棒が出てしまっている・・・という状態になるものですから、睡眠も非常に少なく浅い日々です。現在の原発の状況は、少しでも原発に関心を持ったことのある人間であれば、背筋が凍るような状況、綱渡り状況が続いているわけで、本当に本当に眠る気持にはとてもなれません。

これまでの電力会社、政府の対応を思い返すとき、この危険な状況に対して、「あなたが責任とって危険な作業をしてくださいよ!!『安全』と言ったじゃないですか!!!」と言いたくなります。自衛隊員がお気の毒すぎる・・・。しかし、この地震大国にこれほどたくさんの原発の立地を許してしまった私たち自身の自己責任なのだろうとも思います。

これまで脱原発のために奔走してこられた幾多の先人(もうずいぶん故人となってしまいましたが)がどれほど言葉を尽くして理論的に原発の安全性に疑問を投げかけても、電力会社は、耳を傾けず、安全神話を繰り返すことしかしませんでした。そして私たちは、自分で眼で確かめ納得することもなく、「原発がなければ現在の豊かな生活の質を落とすことになる」・・・というような風潮に流されて、原発の危険性に目をつぶってきてしまいました。

批判を承知で言えば、このくらいのショック療法がなければ、これほど大多数の国民が、「本当に原発は必要なのだろうか?」「私たちは今後も原子力に依存した『豊かな』生活を維持してゆくのか?」というような問題意識を持つことはなかったのではないでしょうか(実際には原発がなくても大丈夫だと思いますが)? そして今、私たちは自分自身でその答えを出すことを求められているのではないでしょうか?

私には今回の原発の事故は、神のギフトとまでは言わないまでも「備え」のように思われてなりません。やはり現在の技術力では、人類に「核(原子力)」を扱うのは傲慢であったのだと・・・・私には思えます。廃炉になる1号機、2号機、3号機は、そして汚染された大量の海水はどこに捨てることになるのでしょうね。。。

とても憂鬱な日々なので、明日も笑顔でがんばれるのかと不安もあります。。。でも、スポーツ選手の誰だったか、スポーツをがんばることで人々に力を与えたい。自分の仕事を一所懸命することしか自分にできることはないから・・・みたいなことを言っていました。偉いなあと思いました。私もがんばります。私にできることは今はそれしかないから。。。

今年度も残り2日です。年長さんのいない「あおぞら」はどんな感じでしょうね。うふふ、がんばります!!!

1 件のコメント:

J君の母 さんのコメント...

金曜日、帰りがけに見た暗雲たちこめる空を思い出しています。その数分後に地震がおこりました。
毎日テレビのない我が家はラジオがつけっぱなしになっています。
いつもマスコミからは遠ざけている子ども達ですが、今回だけは新聞の写真を見せながら「じしん」や「つなみ」のはなしを言って聞かせました。それが直に助けになるものではなくても、せめて家族みんなで心を合わせて黙祷したり、わずかながらの節電をしたりして過ごしたいと思います。
「ほうしゃのう」については何も話せません。。。
オール電化やなんやかやといって、便利なことを追求してきた私たちの社会のつけを正に払っていかなくてはならないのでしょう。
これからの未来を思うと苦しくてなりません。
私たちのできること、、、自然を愛してやまない人間、力強く明るい人間を一人でも生み育てることだと思いました。
神様から頂いた同じ命なら、頑張るしかないですよね!!
昨日J姉の手紙を添えて募金を持って市役所に行きました。
そしたらなんとどこにも募金箱が見当たらない。。。「募金箱は?」と聞くと、ちょっと動揺され「今至急に準備しているのですが…」と。でも、かろうじて片隅に一つありました!!もっと目立つとこにたくさん置けよっ!!と心でタンカ切っていました。。。